古いフットボール・ゲームズ:
近代フットボールの源流となる古典フットボール・ゲームズ:
ケンブリッジ・ルール
ラグビースクール出身のアルバート・ペルは、1839年にケンブリッジ大学でフットボールの試合を組織していました。それぞれのチームが異なるルールを持っており、お互いに対戦するために妥協したルールを見つける必要がありました。ケンブリッジ大学のフットボールクラブによりつくられたルールの下での試合は、ケンブリッジのパーカーズ・ピースで初めて行われました。
ケンブリッジ・ルールは、1848年にイギリスのケンブリッジ大学で、シュルーズベリースクール出身のH・デ・ウィントンとJ・C・スリングを含む委員会のメンバーにより正式に起草されました。ケンブリッジ・ルールの制定において重要な役割を果たしたJ・C・スリングは、1862年にアッピンガム・ルール(最もシンプルなゲーム)と呼ばれる、もう一つの有名なフットボールコード(規則体系)を発案しました。
ケンブリッジ・ルールは、ゴールキック、スローイン、手でボールを運ぶことの禁止等、現代のアソシエーション・フットボール(サッカー)で見られる注目すべき特徴を導入しました。1863年に、ケンブリッジ大学フットボールクラブは、1848年に制定されたルールに修正を加えました。変更には相手チームの選手は、フリーキックが蹴られる際、少なくとも10ヤード離れる必要がある、ということを含みます。
ケンブリッジ・ルールでは、身体的なコンタクトは減らされています。例外を除いて、ボールを手に持つことを禁止し、フォワードパスは許されます。ケンブリッジ・ルールのこれらの要素は、足によるボールのパスの発達を加速させました。
競技団体を形成するために討議中だったクラブは、統一規則を制定するためにケンブリッジ・ルールと、またシェフィールド・ルールからも多くの規則を採用し、1863年に正式にFA(フットボール・アソシエーション)を設立しました。後にこのフットボールコードは、「アソシエーション・フットボール(サッカー)」と呼ばれるようになりました。
シェフィールド・ルール
シェフィールド・ルールは、1857年に設立されたシェフィールド・フットボールクラブのために、最初にネイサニエル・クレスウィックとウィリアム・プレストにより考案されました。
シェフィールド・ルールの初版は、1858年に書かれました。シェフィールド・フットボール・アソシエーションは1867年にそのルールを採用しました。シェフィールドFCのスタッフは、FA(フットボール・アソシエーション)が設立された際、オブザーバーとしてロンドンで開かれた会議に出席しました。1863年から1870年の間にFA(フットボール・アソシエーション)により行われた12件のルール変更のうち、8件はシェフィールド・ルールからのものでした。
現代のアソシエーション・フットボール(サッカー)で見ることができるシェフィールド・ルールの重要な特徴は、コーナーキック、スローイン、フリーキックが含まれます。ゴールポストにはクロスバーがありました。スローインとフリーキックから直接得点することは、出来ませんでした。相手選手を掴んだり引っ張ったりすることは許されません。ハーフタイムとエンドの交換が1862年に導入されました。オフサイドの規則は、1863年までシェフィールド・ルールには含まれませんでした。
フェアキャッチを除き、手でのボールの扱いは禁止されました。後にフェアキャッチが廃止され、それは空中での頭の使用につながりました。続いて、ゴールキーパーやフォワード等のポジションのコンセプトが生まれました。当初オフサイドのルールは、ありませんでしたので、キックスルーと呼ばれるポジションがつくられました。キックスルーの任務は、ゴール前を動き回り、前線でボールを待つことでした。カバーゴールは、キックスルーに対抗するポジションでした。その役割は、キックスルーをマンマーキングすることで、現代サッカーのストッパーのようなものかもしれません。
シェフィールド・フットボール・アソシエーションは、手の使用を1871年にゴールから3ヤード(2.7m)以内に制限し、後に自陣ハーフ以内の制限にしました。FA(フットボール・アソシエーション)は、ピッチのどこでも手を使うことが出来る専任のゴールキーパーのポジションをつくりました。
シェフィールド・フットボール・アソシエーションは、やがて1871年にFA(フットボール・アソシエーション)に加盟しました。
現在に残る英国のスクール・ゲームズ:
イートン・フィールド・ゲーム
イートンカレッジは1815年に独自のフットボール規則を起草しました。これは英国で最初に書かれたフットボールコード(規則体系)です。イートンカレッジは2つのボールゲームを確立し、そのうちの1つがイートン・フィールド・ゲームです。
使用されるボールは球形で、手でボールを扱うことは許されません。それはアソシエーション・フットボール(サッカー)に似ています。ゴールを決める方法は、アソシエーション・フットボール(サッカー)のようなものですが、専任のゴールキーパーは、いません。もう1つのスコア方法はルージュです。ゴールは3ポイントに値します。ルージュは5ポイントに値します。イートン・フィールド・ゲームは、時折ラグビーユニオンのモールのように見えます。
オフサイドルールとスクラムは、ラグビー・フットボールのようです。ポジションは、ブリーとビハインドに大別することが出来ます。ブリーは、ラグビー・フットボールのフォワードと同様の働きをします。ブリーは、コーナー3人、サイドポスト2人、ポスト1人、バップ1人、フライ1人で構成されます。ビハインドは、ショート2人とロング1人です。ゲームプレーは、しばしば両側のショート間の蹴り合いになります。
イートン・ウォール・ゲーム
イートンカレッジが考案した2つのフットボールコード(規則体系)のうちの1つが、イートン・ウォール・ゲームで、時折ラグビーユニオンに似ています。
グラウンドは長さ110m x 幅5mで、ゲームに不可欠な部分であるレンガでできた湾曲した壁に沿っています。このゲームは、ラグビーユニオンのモールとラックが壁に沿って動いているように見えます。観客がゲームプレーが最もよく眺められる壁の上にいることがあります。
毎年セントアンドリューズデーに開催される試合は伝統です。イートン・ウォール・ゲームはまた、升天祭の日の早朝にも行われます。両チームは、カルクスと呼ばれる相手エンドを目指します。選手は、シャイで1ポイントを得ます。ゴールは9ポイントに値します。キックされたゴールは5ポイントに値します。1試合は、25分ハーフから成ります。
ハロウ・フットボール
ハロウ・フットボールは、アソシエーション・フットボール(サッカー)の古い要素の多くを有しており、主に足でプレーします。キックしたボールが地面に触れずに直接であれば、ボールを手でキャッチすることが出来ます。ボールはアソシエーション・フットボール(サッカー)より大幅に大きいものです。プレーヤーは頭を使うことを許されていますが、ボールの重さ故に、かわりに肩を使う傾向があります。スローインは片手で行うことが出来ます。しかし、サイズが大きく重いため、あまり遠くへ投げるのは困難です。ボールはフィールド中を動き、選手は走り回り、ゲームプレーはアソシエーション・フットボール(サッカー)のように見えます。
ハロウ・フットボールで使用される特定のタックルはボッシングと呼ばれます。ベースキックはゴールキックに似ています。コーナーキックの代わりにコーナースローが行われます。プレーヤーは、コーナースローからボールを受け取るために、ベースラインから少なくとも3ヤード(2.7m)離れている必要があります。ハロウ・フットボールには、オフサイドルールが適用されます。ヤードと呼ばれるルールでは、プレーヤーが特定の方法でボールをキャッチしてキックすることが出来ます。
1チームは11人の選手で構成されます。ポジションは大きくバック、フォワード、ウィングに分類できます。バックスは、スリーズとも呼ばれます。
各エンドのベースは、6ヤード(5.5 m)離れた2つのゴールポストで構成されます。そこにクロスバーはありません。フィールド内の唯一のマーキングはハーフウェーラインです。 ハロウ・フットボールのピッチサイズは、長さ100yd~130yd(90m~120m)x 幅50yd~100yd(45m~90m)です。1試合は40分ハーフから成ります。
ハロウ・フットボールは、ハロウスクールでは、フッターとも呼ばれています。ハロウ・フットボールの試合は、毎年ハロウスクールの生徒と、そのOBにより行われます。
ウィンチェスター・カレッジ・フットボール
初期の頃、ウィンチェスター・カレッジ・フットボールは、ウィンチェスターのキングスゲートストリートで、ごく僅かなルールでプレーされていました。規則は時と共に変わり、会場はやがてセント・キャサリンズ・ヒルの芝生のフィールドに移動しました。後に、それはミーズ・アンド・パーマー・スワンプに移されました。
ウィンチェスター・カレッジ・フットボールのピッチはカンバスと呼ばれます。カンバスの大きさは約80m x 15mです。両側に高さ250cmのネットフェンスが配置されています。これらのネットもカンバスと呼ばれ、ボールが頻繁にピッチから出るのを防ぎます。100cmの高さで柱により支えられるロープもフィールドの両側に沿って伸びています。ピッチは非常に狭く、それはゲームが起こったストリートに似ています。
ピッチのエンドはワームと呼ばれ、プレーヤーがポイントを得ることが出来ます。ビハインドは、1ポイントに値します。コンヴァージョンは2ポイントです。ゴールは3ポイントです。ゲームはしばしば、ハイスコアで終えます。
1チーム毎の選手の数は、6人、10人、15人等、様々です。ポジションはキック(フルバック)、ホットウォッチ(ハーフバック)、ホット(スクラム)に分類することが出来ます。相手チームがボールに触れるまで、1チームは1回のみボールを蹴ることが出来ます。
球形のボールが使用され、その大きさは丁度アソシエーション・フットボール(サッカー)のもののようです。ゲームプレーもアソシエーション・フットボール(サッカー)に似ています。しかし、それはパスよりもエンド・トゥー・エンドのキックです。ラグビーユニオンのものと似たスクラムも見られます。
ウィンチェスター・カレッジのハウスには3つのグループ、OTH、コモナーズ、カレッジがあります。チームは、サイドを識別するために異なる色を着ます。OTHは茶色と白のストライプを着ます。コモナーズは赤と白のストライプ模様を着ます。カレッジは青と白のストライプを着ます。各グループのキャプテンがチームセレクションを担当します。
毎年、複数の試合が開催され、それらの中で主要なイベントは、OTHとコモナーズの間で行われる15人制のゲームです。
現在に残る古代、中世のフットボール・ゲームズ:
英国
ハクシー・フッド
ハクシー・フッドは、毎年1月5日または6日に、英国ノースリンカンシャーのハクシーで開催されます。ゲームは午後3時頃に始まります。ボールの代わりに革の管が使われています。このゲームプレーは、ラグビーユニオンの巨大なドライビングモールの様でお互いに押し合います。キックややパンチはありません。非常に激しく押しますが、それは適度で平和的なゲームです。これは伝統的な祭りと見なされ、参加者の数は制限されません。フッドと呼ばれる革の管はそこにある4軒のパブのうちの1つに届けられます。フッドは大晦日まで1年間そこに保管されます。
ハクシー・フッドは14世紀に起こった話を起源とします。モウブレー夫人は風でフッドを失い、13人の農民が探し、そのうちの1人がフッドを見つけました。フッドを実際に見つけたこの農夫は、直接それを夫人に渡さず、もう一人の労働者を通してそれを渡したため、フール(愚か者)と呼ばれ、その労働者はロード(主)として賛美されました。それ以来、この伝統は数百年もの間、生き続けてきました。元の物語の13人のキャラクターのロード、フール、11人のボギンズが衣装を着て行事をリードします。
ボトルキッキング
ボトルキッキングは毎年イースターの月曜日にレスターシャーのハラトンで行われます。 ボトルキックのこの伝統は、2人の女性が走りくる雄牛から救われた後に始まりました。ゲームの前には、街中をパレードが巡り、パイがハラトンの牧師により振る舞われます。ゲームはボトルが3回目にフィールドに落とされた時に正式に開始します。ボトルは小さな木製の樽です。3本使用され、そのうちの2つはビールが入れられています。そして残る1つは堅い木でできていて、ダミーと呼ばれす。
ボトルキッキングは1マイル(1.6 km)離れた小川の間のフィールドで争われます。チームがボトルと共に小川を渡るとゴールです。ラグビー・フットボールのトライのようなものです。そしてゲームは別のボトルで再開します。ゲームは非常に荒くなり、人々は時に重傷を負います。試合後、人々はボトルからビールを飲みます。ハラトンの村人は、ボトルキックがラグビー・フットボールの誕生する切っ掛けを与えたと主張しています。
シュローヴ・チューズデー・ゲームズ
シュローヴ・チューズデー・ゲームズは、毎年2月か3月、灰の水曜日の前日に開催されます。 特定のフィールドは定義されておらず、ボールは街中や川の中にまで行く可能性があり、それでもプレーは続けられます。ボールはキッキングやハンドリングを含む様々な方法で動かすことが出来ます。ボールを強く押している人々の塊りは、時にラグビーユニオンのドライビングモールのように見えます。ゲームはオープンプレーになることもあります。 シュローヴ・チューズデー・ゲームズは、少なくとも700年の伝統があると言われています。
ロイヤル・シュローヴタイド・フットボール
ロイヤル・シュローヴタイド・フットボールは、ダービーシャーのアシュボーンで毎年、灰の水曜日とその前日に行われます。ゲームの歴史は17世紀頃に遡ります。ゲームは街の中心部から始まり、ボールがゴールに達すると、ゲームは街の中心部から再開します。ボールは蹴ったり手で扱ったりすることが出来ます。しかし、人々で一杯になっており、ボールを蹴るスペースがあまりないため、ほとんどが手でプレーされます。そしてハグと呼ばれるラグビーユニオンのドライビングモールの様になります。
2つのチームは、アッパーズ(上向き)とダウナーズ(下向き)と呼ばれます。 アッパーズのメンバーは主にヘンモア・ブルーク川の北の出身者です。ダウナーズは、ヘンモア・ブルーク川の南側出身の人々です。ダービーにある2つの街でシュローヴタイド・フットボール行っており、それが地元チーム同士のスポーツの試合におけるダービーという用語の由来になった可能性があります。
各サイドのゴールポストは3マイル(4.8 km)離れており、各チームは自分達のゴールにボールを持っていくことを目指します。スターストンミルが、アッパーズのゴールポストです。 ダウナーズは、クリフトンミルのゴールを狙います。今現在、ゴールは標石に置き換えられ、プレーヤーは、標石にボールを3回連続して打って得点します。ボールは球形で、アソシエーション・フットボール(サッカー)のものよりも大きいです。
英国王室の一族が、過去にそのアシュボーンのゲームに幾度となく参加したことがあります。
スコアリング・ザ・ヘイルズ
ノーサンバーランドのアルンウィックで行われる伝統的なフットボールゲームは、スコアリング・ザ・ヘイルズと呼ばれます。それはかつて路上でプレーされていました。場所が1820年代にアルン川とアルンウィック城の間の野原に移されました。1762年に開催されたセント・マイケルとセント・ポールの小教区の間の対戦が、知られている最も初期のゲームです。
各チームには数百人のプレーヤーがいます。スコアリング・ザ・ヘイルズは、アソシエーション・フットボール(サッカー)のように見えます。ゴールは装飾されており、約400ヤード(365m)離れています。伝統的にノーサンバーランド公爵が開会式で始球し、試合もキックオフします。チームは最初に2ヘイル(ゴール)を記録すると勝利することが出来ます。試合終了後、川の最も遠いところにボールを投げた人は、ボールを保持することが出来ます。川に入って泳ぐプレーヤーもいます。
セッジフィールド・ボールゲーム
ダーラム・カウンティのセッジフィールドで開催されるシュローヴ・チューズデー・フットボールは、シュローヴタイド・ボールゲームと呼ばれています。それは伝統的に地元の工員と農民の間の対戦でした。ボールゲームの目的は、村の端にあるゴールにボールを持ち込むことです。ゲームは街の中心部の闘牛場から始まります。ボールが持ち込まれたら、ボールは街の中心部の闘牛場に戻されます。パブに初めにボールを持って行った人には、飲み物が1杯無料で振る舞われます。
アサ―ストーン・ボールゲーム
ウォリックシャー、アサーストーンでシュローヴ・チューズデーに毎年開催されるシュローヴ・チューズデー・フットボールの行事は、アサ―ストーン・ボールゲームと呼ばれます。 ゲームは1199年にレスターシャーとウォリックシャーの間で行われました。金の袋が公式のボールとして使われ、ウォリックシャーが勝利しました。今日使用されているボールは、とても大きいものです。ゲームは街の通りで2時間行われます。ボールが午後3時に建物から落とされてゲームが開始します。パントキックがボールを動かす主な方法です。それは時にラグビーユニオンのラックやモールのようです。午後5時に笛が吹かれた時にボールを持っている人が勝者です。ゲームは終わりが近づくにつれて激しさを増します。ボールゲーム委員会がアサ―ストーン・ボールゲームの運営を取り仕切っています。
アッピーズ・アンド・ダウニーズ
アッピーズ・アンド・ダウニーズは、イングランドのウェストカンブリアのワーキントンで毎年イースターに行われます。ワーキントンは海岸沿いの町で、東部はより海抜が高い土地で、西部に向かって低くなっています。従い、アッピーズは東側のチームです。ダウニーズは西側出身の人々で構成されます。
ボールは周囲21インチ(53cm)、重さ2.5ポンド(1100g)で、大きく重いものです。ゲームの目的は、ボールを相手ゴールにヘイル(ゴール)することです。アッピーズのゴールはワーキントン・ホール・パークランズの門にあります。ダウニーズのゴールは港の絞盤です。ゲームは非常に荒くなる場合があり、人々はお互いを押し合います。ボールキャリアーは時にオープンスペースに走ることもあります。
パーベック・マーブラーズのシュローヴ・チューズデー・フットボール・セレモニー
ドーセットのコーフ城で開催されるフットボール行事が、パーベック・マーブラーズのシュローヴ・チューズデー・フットボール・セレモニーです。地元の大理石業者と石切り工により組織が始まりました。フォックス・イン・ウエスト・ストリートの人々は、コーフ教会が正午の鐘を鳴らすのを待ち、市庁舎に前進を始めます。それは足でプレーされ、手は使用しません。
クナパン
クナパンはケルトの中世のフットボールゲームで、ウェールズ西部を起源とします。ゲームは2つの小教区の間でプレーされます。木でできた小さなボールが使われます。ゲーム開始前に油や動物性脂肪を表面に付着させます。そうすることでボールの動きをより面白く、捕らえにくいものにします。各教区のチームは、自分達の教会にボールを持っていくことを意図します。
ハーリング・ザ・シルヴァー・ボール
ハーリング・ザ・シルヴァー・ボールはコーンウォールでプレーされ、ケルトのゲームに起源があると言われています。ウェールズで行われるクナパンに似ています。ボールは銀でできています。ボールの周囲は約9インチ(23cm)で、その重量は約20oz(567g)です。
ミニオンズ周辺に青銅器時代の環状列石があります。ハーラーズ・ストーンサークルの物語は、主日(日曜日)にハーリングを行い不敬の者が、石にされたというものです。
セントコロンブメジャー・ハーリング
セントコロンブメジャー・ハーリングは、シュローヴ・チューズデーとその後の2番目の土曜日にコーンウォールのセントコロンブメジャーで開催されます。ゲームは午後4時30分にマーケットスクエアにボールを投げ入れることにより始まります。それは教区のタウン(市内住民)とカウントリー(郊外住民)の間で争われます。花崗岩でできた2つのゴールは、2 マイル(3.2 km)離れた場所にあります。古いケルト十字架の基礎がタウンのゴールです。浅い石の窪みがカウントリーチームのゴールです。ゲームの目的はゴールを決めることです。プレーヤーはボールを手に持って運び、それをパスし、タックルします。ゲームは1時間前後続きます。勝者は肩車でマーケットスクエアに戻ります。試合後の夜には、シルヴァービールと呼ばれるビールによるお祝いが行われます。
センアイヴス・ハーリング
センアイヴス・ハーリングは毎年、祝祭の月曜日に行われます。ゲームは午前10時30分に始まります。市長が教会から銀のボールを砂浜に投げます。正午にボールを保持している人が勝者で、ギルドホールにボールを持って行き、5シリングを得るのが伝統です。センアイヴスのハーリング・ザ・シルヴァー・ボールは、1000年以上前からプレーされています。
ボドミン・ハーリング
ハーリング・ザ・シルヴァー・ボールは、不定期にボドミンで開催されます。ボドミンのロータリークラブがボドミン・ハーリングを運営しています。ボドミンの市長が、銀のボールをソルティングプールに投げて、ゲームが開始します。勝者は10ポンドを得ます。
カークウォール・ボゲーム
カークウォール・ボゲームは、クリスマスデーと元日にスコットランドのオークニーにあるカークウォールで開催されるボールゲームです。カークウォールのロイヤル・バラの路上でプレーされます。
ゲームはセントマグナス大聖堂近くのカークグリーンのメルカット・クロスから始まります。
2つのチーム、アップ・ザ・ゲート(アッピーズ)とドゥーン・ザ・ゲート(ドゥーニーズ)がゴール到達を目指します。勝者は試合後もボールを保持することが出来ます。バゲームのボールは球形で、アソシエーション・フットボール(サッカー)同様の大きさです。
18世紀後半のカークウォール・ボゲームについての記録を見ることが出来ますが、それよりはるかに前にプレーされていたとされます。シグルドとオークニーンガの物語は、カークウォール・ボゲームが民間伝承に関連している可能性を示唆しています。
明文化された公式ルールはありませんが、人々は地域社会により理解されている特定のマナーの下でプレーするものとされています。スクラムは、ラグビーユニオンのドライビングモールのように見えます。多くの人々は路上でお互いに押し合い、緊張が高まることがあります。
メンズボに年齢制限はありません。ボーイズボは15歳以下の男子です。第二次世界大戦後、ウィメンズボは数回プレーされました。
スコティッシュボーダーズ・ボゲーム
Sスコティッシュボーダーズ・ボゲームは、路上で開催されます。スコティッシュボーダーズ・ボゲームに使用されるボールは、ハンドボールのように小さく、手でプレーする傾向があります。スコティッシュボーダーズ・ボゲームの歴史は少なくとも11世紀に遡ります。
ダンズ・ボゲーム
スコティッシュボーダーズのダンズのマーケットスクエアでダンズ・サマーフェスティバル期間中、ボゲームが行われます。3つの小さなボールが投げられゲームが始まります。それは既婚男性で構成されたチームと独身男性のチームの間で争われます。ダンズ・ボゲームは主に手でプレーされます。ゲームは30分程度で終了します。
ジェドバラ・ボゲーム
ジェドバラ・ボゲームは、スコティッシュボーダーズのジェドバラの街の中心部にあるメルカット・クロスから始まります。メルカット・クロスの南のアッピーズは、カッスルゲートの上にボールを投げてヘイル(ゴール)します。北側出身者で構成されるダウニーズは、ボールを排水溝の上に転がしてヘイル(ゴール)します。レディーズゲームは正午に始まります。メンズゲームは、2時間後に始まります。ゲームプレーは、ラグビーユニオンのラック、モール、ボールランニングのようです。ボールは小さく手に収まるサイズで球形です。ボールのプレーは、街のいたるところに広がる可能性があり、車の統制もさほどありません。
スコーン・ボゲーム
スコーン・ボゲームはスコットランドのパース・アンド・キンロスのスコーンで開催されます。1チームは既婚男性で構成され、もう一方のチームは独身男性で成ります。ボールを手に持ったランニングゲームです。プレーヤーは、ボールをキックすることは許されません。ゲームは午後2時から日没までの間に開催されます。既婚者側は、ふたにボールを3回打つことを目指します。独身者はボールを川に沈めることを目指します。どちらか側が日没までにそれを達成できない場合、ボールは半分に切られて、それぞれの側により分けられます。
カーターホウ・ボゲーム
カーターホウ・ボゲームは、1815年12月4日に、スコティッシュボーダーズのセルカークの近く、カーターホウ半島、ボウヒル・エステートで最初にプレーされました。カーターホウ・ボゲームに使用されるボールは、サッカーのボールより僅かに小さいものです。ゲーム中にボールが手で拾われたと言われています。これは、ウィリアム・ウェブ・エリスが地面からボールを拾い上げて走り始めたという、ラグビースクールの話よりも8年早いものです。今日エリスのおとぎ話が、ラグビー・フットボールの始まりであると信じられています。しかし、ここにはまた別の物語があります。
ホブカーク・ハンドボゲーム
スコティッシュボーダーズのホブカークでシュローヴタイドの時期にアッピーズとダウニーズの間でプレーされる伝統のゲームです。ボールは小さく、手でプレーされます。プレーヤーは、ボールを持って、プレーヤーの群から離れることを試み、それがヘイル(ゴール)とカウントされます。その後、もう一つのボールが用意され、ゲームがリスタートします。
イタリア
カルチョ・フィオレンティノ
カルチョ・フィオレンティノは、16世紀にイタリアのフィレンツェにあるサンタ・クローチェ広場で起こりました。また、バチカン市国でもプレーされました。プレーヤーはボールの有無にかかわらず、相手側のプレーヤーにパンチ、キック、タックルすることが出来ます。頭突き、肘撃ち、首絞めさえもゲームの一部です。カルチョ・フィオレンティノの原型となるゲームが15世紀に行われました。
カルチョ・フィオレンティノの大会は、毎年6月にフィレンツェのサンタ・クローチェ広場で開催され、以下の4つのチームが競い合います。
チーム:
アズーリ(青):サンタ・クローチェ
ロッシ(赤):サンタ・マリア・ノヴェッラ
ビアンキ(白):サント・スピリト
ヴェルディ(緑):サン・ジオヴァニ
規則:
ボールは球形で、布や革でできています。1試合は50分です。フィールドの広さは80m x 40mで、砂が敷かれています。ゴールはカッチャと呼ばれ、ネットは両エンドに沿って配置されます。チームは各ゴール毎にサイドを交換します。シュートがネットを超えて外れると、相手チームが、1ゴールの半分を得ます。
1チームは27名の選手で構成されており、交代はありません。怪我のために、ゲーム中にプレーヤーの数が減ることがあります。
ポジション:
ダトリ・インディエトロ(ゴールキーパー):4選手。
ダトリ・イナンツィ(フルバック):3選手。
スコンチアトリ(ハーフバック):5選手。
イナンツィ/コリドーリ(フォワード):15選手。
フランス
ラ・ソーユ
ラ・ソーユは、フランスのノルマンディとピカルディを起源とします。ラ・ソーユは伝統的にイースターやクリスマス等の祭日にプレーされました。ゲームの目的は、足と手でゴールを決めることです。ルールの取り決めによりスティックを使用することもあります。ゴールは自分達の教区の教会に置かれました。ゲームは2つの小教区の境界で始まります。従い、プレーするフィールドは、非常に広範囲になることがあります。2チームはしばしば、既婚男性と独身男性で分けられました。フルコンタクトスポーツであり、ラ・ソーユのルールは1396年に規則体系がつくられました。ラ・ソーユのボールは革でつくられています。
今日、ノルマンディ祭で大会が開催されます。シュローヴ・チューズデー後の日曜日にオワズのトリコでプレーされます。ラ・ソーユは、ヴァンドームでも毎年プレーされています。
シュール・クロスやグラン・シュール等の変種があります。
ジョージア
レロ・ブルティ
レロ・ブルティは、ジョージアの伝統行事です。ボールは重く、主に手で運ばれます。参加者の数は非常に多くなる場合があり、人々はボールの周りでお互いを押し合います。地元住民は、勝者が村でより豊作を期待できると信じていました。
レロ・ブルティは、12世紀の詩、「豹皮の騎士」で言及されています。レロはラグビー・フットボールでのトライに相当するものです。
現代スポーツのレロ・ブルティの規則が体系化されており、ラグビーユニオンに似ています。 ただし、フォワードパスと手からボールを落とすことは許されます。プレーヤーは、5秒以内でボールを運ぶことができ、ボールをパスする必要があります。また、ボールは球形で、重さは2.5kgです。レロ・ブルティのフィールドは長方形で、長さ90m~135m、幅60m~90mです。チームはボールをマクと呼ばれるエンドゾーンまで運ぶことを目指します。1試合は30分ハーフです。
ジョージアのラグビーユニオンの代表チームのニックネームはレロズです。
メソアメリカ
ウラマ
ウラマはメキシコやエルサルバドルのようなメソアメリカでの伝統的なゲームです。メソアメリカのボールゲームは、4000年以上前のものです。これは紀元前1600年前後にゴムボールでプレーした最古のボールゲームです。スペインの征服以来、ゲームは衰退した。
ウラマに使用されている狭いコートは、テイティと呼ばれます。アナルコと呼ばれるセンターラインがコートを分割します。プレーヤーは、ボールをバウンドさせ続けることを目指します。ボールがチチ(チボ)というエンドラインをクロスすると1ポイントです。ボールを手で扱ったり、バウンドでボールを打ったり等、他にもスコアする方法が多くあります。チームはゲームに勝つために8ポイントを得る必要があります。
ウラマがどのように今日プレーされているかには、3つの主なタイプがあります。
ウラマ・デ・カデラ(腰ウラマ):
1チームは5〜12人のプレーヤーです。ボールは約3kgです。プレーヤーは保護用の腰巻とヒップパッドを着用します。
ウラマ・デ・アンテブラソ(前腕ウラマ):
コートはより小さく、1チームは1〜3人のプレーヤーで構成されます。ボールはそれほど重くありません。プレーヤーは前腕でボールを返します。女性に人気があります。
ウラマ・デ・マゾ(スティックウラマ):
木製のパドルを使用します。ボールの重さは0.5kgです。1チームは3〜4人のプレーヤーで構成されます。
ノルウェー
バッセ
バッセは1世紀以上前に考案されたノルウェーのゲームです。このスポーツに使用されるボールはゴム製のリングや自転車のタイヤで出来ており、バッセと呼ばれます。
4~9人のプレーヤーがそれぞれ、直径100cm~150cmの円にゴールを決めることを目指します。円は防御できますが、手は使用不可です。
ゴールを奪われると1ポイントを失います。マイナス3ポイントのプレーヤーはゲームから脱落します。最後2人のプレーヤーが残ると、これら2人のプレーヤーが何ポイントを持っていて、次のゴールでゲームに勝利します。
ニュージーランド
キオラヒ
キオラヒは、ニュージーランドのマオリの人々の伝統的なボールゲームです。キオラヒがどのくらい古いものか、正確には分かっていません。キオラヒのフィールドは円形です。エリアはアーチェリーの的のように分割されており、主なエリアはテアオ、テロト、パウェロ、テワイルア、トゥプです。キオラヒに使用されるボールはキと呼ばれ、丸い形をしており編んだ植物でできています。今日、現代版のゲームでは、ゴムボールが使われます。ゲームは2チームで対戦します。フィールド、ボール、規則は異なっていますが、必要とされるスキルセットの多くはタグラグビーと共通の可能性があります。
インド
ユビラクピ
伝統的なフットボールが、インドのマニプールで行われており、ユビラクピと呼ばれます。使用されるボールは、ココナッツです。直接関連していませんが、ゲームプレーはラグビー・フットボールのように見えます。プレーヤーはスコアするために、ココナッツと共にゴールラインを通過します。プレーヤーは腕の下でココナッツを運ぶ必要があります。タックル出来るのは、ココナッツキャリアーに対してのみです。プレーヤーは裸足でシャツを着ずにプレーする傾向があります。一般的にプレーヤーの肌にはオイルが塗られるため、掴むのは至難の業です。フィールドは長さ45m × 幅18mです。ユビラクピの背景にはヒンズー教があります。
東南アジア
セパタクロー(籐球)
セパタクローは、東南アジアで人気があります。フットバレーとフットネットとは類似する点があります。セパタクローの最も初期の知られている記録は、マレー年代記(セジャラー・メラユ)に見ることができ、15世紀にマレーシアのマラッカ王国でプレーされたことを示しています。セパタクローは、初期の頃は競技スポーツというよりは、むしろエギジビジョンのようなものでした。ネットスポーツであるセパタクローの現在の形式は、1940年代までに一般的になりました。
2つの主なカテゴリー、レグとダブルス・レグがあります。コートのサイズは13.4m × 6.1m(44ft × 20ft)です。ネットの高さは男子が152cm、女性が142cmです。セパタクローのボールは合成繊維または編んだトウ(籐)でできています。周囲は男性の場合、42cm~44cm(16.5in to17.3 in)、女性の場合は43cm~45cm(16.9in~17.7in)です。重量は男性で170g~180g(6.0oz~6.3oz)、女性で150g~160g(5.3oz~5.6oz)です。プレーヤーはボールを打つために足、膝、胸、頭のみを使うことが出来ます。ISTAF(国際セパタクロー連盟)が統括団体です。
主な大会:
ISTAFスーパーシリーズ。
ISTAFワールドカップ。
キングスカップ世界選手権。
セパタクローは、アジア競技大会や東南アジア競技大会でもプレーされます。
フィリピンでプレーされるシパは、セパタクローに関連があります。1チームは1人か2人か4人のプレーヤーで構成されています。また、ルールは単純化されています。
ミャンマー
チンロン
チンロンは1500年前からミャンマーでプレーされています。チンロンは、ビルマの格闘技と踊りの影響を受けた娯楽としてつくられました。これは伝統では、競技スポーツではありません。そのため、スペクタクルなテクニックが、長年に渡り発展してきました。
チンロンに使用されるボールは編まれたトウ(籐)でできています。1チームは、通常6人のプレーヤーで構成されます。プレーヤーは、円の内側で手を使わずにボールを空中に維持します。タパンダイングと呼ばれるシングルのパフォーマンスがあります。チンロンのルールブックが1953年につくられ、初めて競技が始まりました。
韓国
チェギチャギ
チェギチャギは冬、特に旧正月の間にしばしばプレーされる伝統的なゲームです。チェギチャギは武道の訓練から発達しました。プレーヤーは地面に落とさないように、できるだけ多くの回数、空中でチェギを蹴ろうとします。チェギは硬貨と韓紙でできています。ジェギの重量は約10g(0.35oz)です。
中国
ジェンズ(羽根蹴り、蹴羽根)
ジェンズは手を使わずに空中で羽根をつくゲームです。ジェンズは紀元前2世紀から中国でプレーされてきました。それは、もう一つの古い中国のゲーム、蹴鞠から発展しました。サークルキックとデュエルキックの2つの主なプレー方法があります。フットバッグのようなフリースタイルもプレーされています。
ジェンキは大会の公式なコード(規則体系)です。長方形のコートサイズは6.10m x 11.88mです。ネットの高さは、男子が160cm、女性が150cmです。大会で使用される公式のフェザーボールは4つの羽とゴムまたはプラスチックのベースでつくられています。重さは約15g~25gです。
新しいコードのティジェンズ(中国JJJ)は、バドミントンコートと低いネットを使用しています。ネットが低いため、シャトルコックを返すためにアクロバティックなフットボールスタイルのボレーを用いることが出来ます。
ISF(国際シャトルコック連盟)が、1999年に設立されました。
中国、日本、韓国、ベトナム
蹴鞠
蹴鞠は紀元前3世紀に中国で生まれた古代の球技です。蹴鞠の最も初期の記述は戦国時代の「戦国策」にあります。これは全てのフットボール・アスレチックゲームズの歴史の中で実際に言及されたで最初のものです。蹴鞠は軍事訓練でした。当時、蹴鞠は肉体的に過酷で競争の激しいゲームでした。蹴鞠をプレーすることは非常に人気になり、宋の時代(960-1279)に、プロフェッショナルとしてプレーを始める選手が出てきました。
蹴鞠リーグ、キユンシェが10世紀に主要都市で組織されました。全国選手権、シャンユエゼンサイが毎年開催されました。やがて蹴鞠は周辺の国々に伝播しました。このゲームは日本ではケマリ(蹴鞠)と呼ばれています。蹴鞠は祭りや神社での特別な行事になりました。
蹴鞠は飛鳥時代(592 – 710)に日本に紹介されたと言われています。日本での蹴鞠に関する最初の言及は西暦644年のことです。蹴鞠は13世紀に規則が体系化されました。蹴鞠の目的は、手を使わずに丸いボールを空中に保持することです。蹴鞠は競争するゲームではありません。
先史、古代、中世、近世のフットボール・ゲームズ:
英国、欧州
モブフットボール(シュローヴタイド・フットボール、フォークフットボール、中世フットボール)
フットボールゲームは、中世の間、モブフットボールと呼ばれ、ヨーロッパ中で広く行われました。典型的なボールはブタの膀胱でできていました。ゲームの性質は非常にフィジカルで、参加者の数は非常に多く、大抵は無制限でした。当時はスポーツというよりは、街の祭りのようなものでした。
ゲームのなかには、必ずしも蹴ることが含まれていないものもありました。しかし、それらは、ボールを蹴るゲームと多くの点で類似性を有していました。
シュローヴタイド・フットボールが英国で非常に人気を博しました。その規則が徐々に体系化され、アソシエーション・フットボール(サッカー)やラグビーユニオンのような現代のフットボールスポーツのルーツとなっていきました。
ギリシャ
エピスケイロス
エピスケイロスはスパルタ等の古代ギリシャのボールゲームです。それは非常に身体的なゲームであり、ラグビー・フットボールの様だったかもしれません。ゲームは2チームにより行われました。1チームは12〜14人のプレーヤーで構成されています。それは祭りのような特別な場面でプレーされました。当時の芸術作品では、エピスケイロスのボールは丸い形をしています。
ファイニンダ
ファイニンダはエピスケイロスに似た古代ギリシャの球技です。今日、詳細な規則は分かっていません。ファイニンダは、ローマの人々が同様のボールゲームをする上で、インスピレーションになりました。
イタリア
ハルパストゥム
ローマ帝国はギリシャのボールゲームであるファイニンダを採用し、イタリアではハルパストゥムまたはハルプストゥムという名前でプレーしました。ローマ人はゲームに修正を加えましたが、それは身体的にアグレッシヴなスポーツで、骨折等の怪我は非常に一般的でした。
米国
オールド・ディビジョン・フットボール
アソシエーション・フットボール(サッカー)やラグビー・フットボールの規則が完全に体系化される前、フットボール・アスレチックゲームは、既にアメリカ合衆国で行われていました。オールド・ディビジョン・フットボールは、1820年から1890年にかけて、米国ニューハンプシャー州ハノーバーのダートマス・カレッジで通常、プレーされていたゲームです。それは、ユージュアル・フットボール・ラッシュ、またはフットボール・ラッシュとも呼ばれました。1871年に規則がダートマスの学生により発行されました。片側のプレーヤーの数は無制限でした。チームはゲームに勝つために、東または西のフェンスにボールをキックします。
パーサーエマン
アメリカ先住民のフットボールのようなボールゲームについての示唆が複数あります。1656年にダニエル・デントンは、フットボールがデラウェア族またはレナペ族に近い人々によりプレーされたと言及しました。これはパーサーエマンと呼ばれ、非常に身体的なものが必要とされるゲームです。しかし、女性プレーヤーがボールを保持している時は、男性選手は掴んだり、タックルしたり出来ず、パスをインターセプトすることだけが許されました。ゴールは特定のプレーヤーが決めなければなりません。チームは、各ゴール毎に12本の棒から1つ棒を得ます。より多くの棒のあるチームがゲームに勝利します。6 – 6の場合、プレーオフが続きます。ゲームは午後に行われる傾向があり、シーズンは、暖かい春に始まります。
パーサーエマンに使用されるボールは、パーサーイカンと呼ばれます。直径9インチ(23cm)で鹿の皮でできています。ゴールポストは木材でできています。フィールドサイズは、約45m × 18m(150ft × 60ft)です。
ネイティブアメリカンの人々は、ヨーロッパのフットボールゲームに関連していない、彼らの伝統的なバージョンのフットボールゲームを広くプレーしました。
グリーンランド、カナダ
アクサクトゥク
イヌイットの人々は長い期間に渡り、彼らの環境に適した伝統的なフットボールゲームを発達させました。アクサクトゥクは、氷上フットボールを意味します。2チームが互いに向かい合い、より多くのゴールを決めることを競い合います。フィールドサイズは様々です。相手ゴールは、時には隣の村まで離れており、ゲームは、異なる村の対抗で行われます。ボールは動物の皮、毛、骨等で、つくられています。ゲームは冬と夏の間にも行われます。
アイスランド
クナットレイカー
クナットレイカーは、アイスランドの伝統的なスポーツです。クナットレイカーはボールゲームを意味します。それは、アイリッシュ・ハーリングに似ています。歴史は1000年以上あり、どのくらい昔からなのか、正確には分かっていません。プレーヤーは、ボールを手やスティックで扱う傾向があります。それは他の古代フットボールゲームと同じように非常に身体的なゲームの可能性があります。氷原でしばしば行われます。クナットレイカーは、2チームの間でプレーされます。1チームは通常6人のプレーヤーで構成されます。ゲームの目的はゴールを決めることです。ほとんどの場合、1日で終了しますが、ゲームは数日間続くこともあります。ボールは小さく、非常に硬いウールフェルトでできています。スティックは木でできています。今日、元々のクナットレイカーの正確なルールは知られていません。
アイルランド
カイド
アイルランドで発達したボールゲームの類は、カイドと呼ばれています。それは次第にゲーリック・フットボールの形成にもつながりました。ボールは動物の皮と膀胱でできていました。1308年にフットボールゲームについて言及した記録があります。2つの主なタイプのカイドが19世紀にみられました。フィールドゲームでは、プレーヤーは互いに向き合ったアーチ型のゴールにスコアします。もう1つのゲームは、クロスカントリーゲームで、チームはボールが教区の境界を越えると勝利します。それは通常、日曜日にプレーされました。どちらも荒く非常に身体的なゲームで、ウェールズのクナパンに似ています。
オーストラリア
マーン・グルーク
マーン・グルークは豪州先住民アボリジニの伝統的なボールキックとキャッチのゲームです。プレーヤーは順番にボールをお互いに蹴り落とさないようにします。使用されるキックの種類はパントキックのようなものです。マーン・グルークのゲームは何時間も続くことがあります。ゲームに勝つ方法は明確ではありません。相手側は、もう一方のチームがゲームに勝ったことを受け入れる必要があります。ボールは例えばポッサムといった動物の皮で、できています。そのボールは、最も良いパフォーマンスをした選手に渡されます。背の高い選手は空中でボールをキャッチするアドバンテージがあります。この点は、オーストラリアン・フットボールと似ています。マーン・グルークはオーストラリアン・フットボールのキック・トゥー・キックに似ています。
ウォッガバリリは子供向けのゲームです。オーストラリア中央部、ワルピリの人々は、マーン・グルークに似た、プルトジャと呼ばれるゲームをプレーしました。
著者:長田拓也 Takuya Nagata. Amazon Profile
Follow @nagatackle小説作家、クリエーター。ブラジルへサッカー留学し、リオデジャネイロにあるCFZ do Rio(Centro de Futebol Zico Sociedade Esportiva)でトレーニングに打ち込む。日本屈指のフットボールクラブ、浦和レッズ(浦和レッドダイヤモンズ)でサッカーを志し、欧州遠征。若くして引退し、単身イングランドに渡り、英国立大学UCAを卒業。スペイン等、欧州各地でジャーナリスト、フットボールコーチ、コンサルタント等、キャリアを積む。クリエーティヴ系やテクノロジー畑にも通じる。社会の発展に寄与するアート・ムーブメント『MINIЯISM』(ミニリズム)とナレッジハブ「The Minimalist」(ザ・ミニマリスト)をローンチ。ダイバーシティと平等な社会参加の精神を促進する世界初のコンペティティヴな混合フットボール「プロプルシヴ・フットボール」(プロボール)の創設者。『Football Game Sphere』(フットボール・ゲーム・スフィア)でも執筆。
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